みやこ町議会 2022-06-14 06月14日-03号
◎町長(内田直志君) みやこ町におきます、この杉、ヒノキのことだと思うんですけれども、かつてはお隣に筑豊炭田ですね、坑道を支える坑木として搬出されたということで、今かなりのみやこ町の森林面積が杉、ヒノキだということは伺っております。 今、かなりの部分が伐期を迎えておりまして、これを今後どう利活用していくのかというのは、みやこ町における問題でもありますし、日本全国における問題でもあります。
◎町長(内田直志君) みやこ町におきます、この杉、ヒノキのことだと思うんですけれども、かつてはお隣に筑豊炭田ですね、坑道を支える坑木として搬出されたということで、今かなりのみやこ町の森林面積が杉、ヒノキだということは伺っております。 今、かなりの部分が伐期を迎えておりまして、これを今後どう利活用していくのかというのは、みやこ町における問題でもありますし、日本全国における問題でもあります。
次に2点目ですが、若松港は筑豊炭田からの石炭を積み出す港として1890年に築港を開始し、今年がちょうど130周年となります。当時の洞海湾は水深が浅く、航路しゅんせつ工事や積出岸壁の整備を行い、筑豊炭田からの出炭量は築港を開始した1890年の80万トンから大正期には1,000万トンに増大し、国内シェアの半分を占めたそうであります。
◯議員(9番 弓削田 敬君) この筑豊地区、結構筑豊炭田で支店がたくさんあって、当時の国鉄がいっぱいあったんですけれども、もう大変ですね、これ。本当に。うちだけじゃないと思います。だが、大半は代替道路とかいろいろしてもらっていますけれども、うちのほうは進んでいないというところで、これぜひ担当課長、頑張ってJRのほうと交渉して、いい方向に進めていただきたい。
鉄道のまち直方や筑豊炭田の歴史を感じてもらえるものとなっておりまして、新聞各社にも取り上げていただきました。 この企画は発売から2日で100席が完売するほどの人気でございまして、企業と連携をすることでPR効果は何倍にもなったのではないかと自負しているところでございます。以上です。
筑豊炭田の石炭輸送を主目的として運行された鞍手軽便鉄道は、大正4年に開業し、筑豊鉄道などへと名称を変えながら、昭和29年まで39年間にわたり地域の鉄道輸送の一翼を担ってまいりました。現在、駅舎や線路等は残っておりませんが、れんが積みの橋脚や駅の給水塔の基礎部分などの一部が残っている状況でございます。
また、平成30年10月15日に旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所(石炭記念館本館)及び救護練習所模擬坑道が筑豊炭田遺跡群として国の史跡に指定されました。直方市の宝である多賀公園及び石炭記念館等の周辺整備をどのように考えているのか、お尋ねします。 最初に、多賀公園の位置づけについて教えてください。 ○産業建設部長(増山智美) 直方市の玄関口であるJR直方駅に近接する町なかの近隣公園でございます。
○文化・スポーツ推進課長(山部福美) 議員がおっしゃられましたように、旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所及び救護練習所模擬坑道は、田川市の三井田川鉱業所伊田坑跡、また飯塚市の目尾炭鉱跡とともに、筑豊炭田遺跡群として昨年10月15日の官報告示をもって正式に国史跡に指定されました。
昨年10月に石炭記念館本館が国の史跡に指定されましたので、今後、筑豊炭田遺跡を求めて多くの方々が本市を訪れることが予定されます。さらに、来年度には、直方北九州自転車道路の開通を控えておりますので、現在、観光協会を中心として飲食店とか商店の方々とともに、サイクリストの受け入れ環境整備に努めているところでございます。
また、三井田川鉱業所伊田坑跡を含む筑豊炭田遺跡群が、昨年の10月に国の指定史跡となりました。今後、有識者などで構成する委員会を設置し、適切な保存活用計画を策定いたします。 加えて、汚水処理に関しましては、昨年の9月議会で議決をいただき、個人設置・公的管理型浄化槽整備という新たな合併浄化槽の整備手法を確立いたしました。
直方市石炭記念館の敷地である旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所及び救護練習所模擬坑道を含む筑豊炭田遺跡群も本年10月15日付で正式に国指定史跡となりました。 こうした状況の中で、炭鉱労働者の象徴であります坑夫像について移設を含め再検討することとなりました。以上でございます。
現在、この調査成果をもとに、飯塚市、田川市の3市で筑豊石炭鉱業組合の直方会議所を含む筑豊炭田遺跡群が国指定史跡となるよう文化庁に対し働きかけを行っているところでございます。以上です。 ○15番(渡辺幸一) 石炭記念館と訓練坑道については、文化庁に対し国指定史跡となるよう働きかけを行っているということは理解できました。
現在の若松区、旧若松市は、当時筑豊炭田で産出された石炭の積み出し港として大いに発展し、商工業活動も活発で、都市整備を支える経済力が備わっていました。そして、現在の若戸大橋のたもと、繁華街の中心にある中川通り付近の約77.7ヘクタールにおいて、大正7年7月、全国で14番目の早さで事業に着手されたということであります。
筑豊炭田は明治の初めから昭和51年までの約100年間に8億トンの石炭を産出し、国内最大級の規模を誇っていました。八幡に製鉄所が建設されることになったのも、燃料となる石炭を安定的に供給できる筑豊の存在は大きかったと思います。石炭記念館本館は、筑豊石炭鉱業組合直方事務所として明治43年に建設され、本館瓦ぶき2階建ての洋風建築で、現在でも入り口のアーチ、室内の天井の姿がそのままに残されております。
なお、国指定史跡の指定につきましては、福岡県と協議いたしまして、飯塚市の目尾炭鉱、田川市の三井伊田炭鉱と合わせ筑豊炭田遺跡群としての指定を目指す方向で調整しております。この取り組みにつきましては、順調に推移すれば、平成29年度に史跡指定、平成30年度に活用計画の策定、平成31年度以降に計画に基づく整備を行う予定です。この整備期間も活用計画の内容によっては複数年を要するとも考えております。
10款教育費では、石炭・歴史博物館付属研究所が行う山本作兵衛や筑豊炭田などの研究に係る経費のほか、教育集会所の改修など、所要経費を計上いたしております。 一般会計における歳出の主な内容は、以上であります。 次に、歳入につきましては、歳出の各事業に対応する国県支出金や地方債などの財源を計上いたしております。 また、ふるさと寄附金の増収見込み等により、16款寄附金の増額補正を行っております。
ドイツは自国のエネルギー石炭、これをきちっと守って日本と対照的に、日本は例の筑豊炭田が潰れたあのエネルギー革命の中で、石炭、産炭地がどんどん潰れていきましたけれども、これアメリカのエネルギー政策の一貫の中で潰されていったという状況があります。一方ドイツはこれをきちっと国内で石炭を守り、そして食料の自給率はなんとドイツは92.3%であります、2013年の時点で。日本は39%です。
また、明治時代以降は、筑豊炭田の中心都市として隆盛を誇ったことは御承知のとおりでございます。 以上のように、豊かな歴史を持つ本市には、さまざまな文化財が残されています。これら文化財は、歴史の生き証人でございます。そこで、最初の質問を行いたいと思います。このようなさまざまな有形、無形の文化財のうち、本市が指定している文化財にはどのようなものがあるか、お尋ねいたします。
かつては、国内には筑豊炭田や常磐炭鉱、あるいは夕張炭鉱など、多くの炭鉱施設が残っておりました。しかし、現在では、かつての炭鉱施設や機械設備は、都市化や開発のために解体・撤去、あるいは移設をされておりまして、完全な形で残っているものはほとんどありません。また、三池炭鉱も、かつては四山坑や有明坑などが残っておりましたが、それらの施設も撤去されております。
特に国内最大規模であった筑豊炭田を背後に控えた港町若松と門司港では、早くから鉄道と港湾の2大インフラが整備されました。このような中、1901年に官営八幡製鐵所の東田第1高炉に火が入り、我が国最初の銑鋼一貫生産を行う近代製鉄所が誕生しました。以来、この地はモノづくりの町として重化学工業を中心に急速な発展を遂げ、日本の4大工業地帯の一角として日本経済の高度成長を支えてきました。
一昨年の1月、九州・山口の近代化産業遺産群が世界遺産の暫定リスト入りをした後、世界遺産海外評価の皆さんからの報告会がございまして、そのときに私も案内を受けたし、それから、田川市長、飯塚市長の産炭の関係の首長さんが全員案内を受けたんですけども、そのときに、筑豊炭田は世界遺産の構成資産に入らないというのが初めてその席上でわかって、私もびっくりしたんですけど、田川市長も横におられまして、がっかりされていた